大納言横丁

俺のブログ

むしろ「こんなことをしている場合」だった時のほうが少ない

ついつい「払った値段分楽しめたんだろうか」ということを考えてしまう。

 

映画や小説は90分見終わるまで、500ページ読み終わるまでに値段分楽しむことができたか、と考えることができるからまだ良いのだが、ゲームの場合が問題だ。

 

たとえば7000円のゲームを買ったとして、10時間のストーリーを終わらせたあと、やりこみ要素を2割ほど遊び20時間ほどで満足したときに、「確かにストーリー本編は楽しんだけど、7000円で2年20時間は割りに合ってるのか?そもそももっと長く遊べるゲームのはずなのにこれでいいのか?」という風に考え、なんだか損をした気持ちになってしまう。

 

冷静に考えれば20時間遊んで「満足」してるんだから損もクソもないんだけど、まだ遊べる余地が残ってるのにプレイを終えてしまうのは、お腹がいっぱいになったからご飯を残すようなものなのでは?と思う。だからといってそれ以上遊ぶ気にはならない(ご飯と違ってこれ以上は食べれない!なんてこともないのに)から、損をしたと思ってしまうのだろう。

 

昔は良かったよな、と懐古趣味に浸るつもりはないが、単純にお金がなくて、ゲームを買うペースが極端に遅かった子供の頃は、どんなゲームであれ隅々までしゃぶり尽くすように遊んでいた。

 たくさんの欲しいゲームの中から一つ選んで遊び尽くしていたあの頃と、たくさんの欲しいゲームをそこそこにプレイしている今と、どちらの方が幸せなのだろうか。

ごちゃごちゃ言ってきたけれど、要はゲームができれば俺はそれだけで幸せなんだろうな、と思ったりもする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことを考えていると、全身がちんちんになってしまう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘビーレインめちゃくちゃ面白いですね

 

おわり