おはようございます
ちょっとDDLCの話していいですかします
Q.急に来た?
A.急や
一応ネタバレ注意です
僕がDDLCの一番好きなところ、というか未だに心を惹かれ続けているところはどこかなと考えた時に、究極的にはプレイヤーである自分自身が"受け止める"ことしかできないという点なのかもしれないと思うんですよね
というのは、本来想定されていたDoki Doki Literature Clubのシナリオ上ではサヨリ、ナツキ、ユリとの恋愛関係に発展していくルートがあったと思われるんだけれど、モニカによって歪められたゲーム内において彼女たちとのエンディングにたどり着くことはできず、サヨリの希死念慮も、ナツキの家庭環境も、ユリの自傷癖にも解決方法を提示することも寄り添ってあげることもできず、ただそれらの事実を受け止めることしかできず、そして、モニカの狂おしいほど切実な願いを叶えてあげることもできない。
ゲーム内に用意されたプレイヤーのアバターとしての主人公は、初めは彼女たちとの会話やモノローグが存在するものの、モニカのゲームに対する干渉が本格化してからはプレイヤーがゲームを鑑賞するための単なる覗き窓のようなものになってしまう。
そこで僕たちプレイヤーにできるのは、ただゲームの外側でファイルを消去することだけ。ここにおいてモニカの境遇と僕たちの無力さに共通点が生まれる。彼女も僕たちも、ただそこに用意されたものを受け入れるか、それらを否定して壊すことしかできないのだ。
最終的にモニカは、自らのルートが存在しないゲームを壊して僕たちプレイヤーと結ばれようとするものの、chrファイルの消去という形でそれを拒絶され、それを受け入れ、"I'll leave you be"、プレイヤーを文芸部の世界から解き放つことを選択する。
ここにおいて尚、我々にできることは、ただ彼女の選択を受け止めることだけである。
モニカの言う"this world of infinite choices"は、しかし僕たちプレイヤーにとっては選択の余地がない世界なのだ。
ただ、ここで冒頭の話題に戻るが、僕はこのどうしようもない無力さこそがDDLCの最大の魅力でもあると思っている。
ゲーム内の主人公が機能を果たしていないことで、主人公が担うはずの選択の権利を我々はDDLCというゲームにおいては持ち得ない。
しかし、だからこそ、その選択の権利、彼女たちの選択、彼女たちの想いを受け止め、そこから何を選ぶのか、何を為すのかという部分は現実に生きる僕たちに委ねられるのだ。
例えば、ゲームが発表された後いくつか発表された、いわゆるモニカ救済MODなどはその代表的なものと言っていいだろう。
ゲーム内に彼女のルートが無いなら作っちまえばいいじゃん!というのは無粋なようにも思えるが、しかしモニカと結ばれたいという気持ちを形にしてゲーム内に落とし込むことで、製作者なりに彼女の想いに応えることができたと言えると思う。ここにおいてモニカと彼の関係性は双方向のものになったのではないか。
(まあ僕はやってないんですけどね。ぶっちゃけ無粋だとは思うし……………)
じゃあ僕が選んだ選択肢とは何か、と言うと、ただ"忘れない"というだけなんですよね
彼女たちをゲーム内において幸せにすることはできなかった。
僕にできるのは、ただ彼女たちがあの文芸部にいた事、彼女たちと過ごした時間、それらを忘れずこの現実を生きていくことだけなんだよ
彼女たちと過ごした時間という点で言うならば、全CGを回収した後のEDで語られるサヨリの言葉、"Doki Doki Literature Clubを遊んでくれてありがとう"、この言葉によって、たとえゲームの主人公として何もできなかったとしても、彼女たちを救いたいとプレイした僕の気持ちは、僕の時間は無駄なんかではなくて、それを彼女が知っていてくれている、感謝してくれているというだけでかえって僕自身が救われた気持ちになるんですよね
だからこそ、彼女たちを真の意味で救うことはできなかったとしても、サヨリ、ナツキ、ユリ、そしてモニカ、彼女たちと過ごした時間全てが尊いものであり、ただそれを忘れず、心に抱えていくことが僕の選ぶことのできるただ一つの選択だと思うんです
彼女たちと一緒に居られる未来はなかったけれど、しかし僕の現実において、彼女たちの愛、そして彼女たちへの愛は確かに存在したんだよなあ……………w←オイ
満足しました
あ、あけましておめでとうございます
未だに口内炎の跡が消えず苦しんでいる大納言でした
ヤッピ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!